どうも、ちゃなです。
今回はちょっと抽象的なお話。
ゲームブックというのは有限の選択肢の中から読者が選び続けることでエンディングへと向かう物語です。
ほとんどのゲームブックには、多くのバッドエンドと一つもしくはごく少数のトゥルーエンドがあります。
どのエンドにたどり着くかは、読者の選択にかかっています(ランダム要素のある作品もありますが)。
ということは、ゲームブックというのは「著者の考える正解が明示されているメディア」と言えるわけです。
このことは、著者としては意識しておくべき事柄だと私は考えています。
バッドエンドに到達すると、読者としては多かれ少なかれ著者からダメ出しされた気分になります。
だからこそ多くの著者は、バッドエンドに意匠を凝らして「面白い死に様」を演出したり、巧みに誘導して「たぶんバッドエンドだけど、踏んでみたい」と思わせるように工夫したりします。あるいはバッドエンドだらけのフローチャートの場合、「この作品はしょせん運試しだから」と思わせて気持ちの負担を軽減するための演出が入っていたりします。
そういった細工が何もなく、単に「あなたの選択は不正解でした。バッドエンドです。」と言われたら、読者としては不快ですし、読む気をなくすでしょう。
読者に正解を示すというゲームブックの性質にマッチするジャンルとして、「チュートリアル」があります。
たとえば代々木丈太郎さんの「YOUはドライブデートする」。
本作はバッドエンドてんこ盛りですが、その多くが交通法規違反なので、読者は自分の選択が間違いであることを納得できますし、交通法規にちょっと詳しくなることもできます。
実際にゲームブック方式でチュートリアルを作成する試みはそこかしこで行われています。
そういえば昔「進学ガイド」に、受験勉強の仕方をテーマにしたゲームブックが載っていましたね。懐かしい。。
ちゃなは当面ゲームブックはエンタメと割り切って創作活動を続けるつもりですが、ゲームブックというメディアを他の方面に活用する試みはそれで素晴らしいものだと思います。
ただしここで大事なのは、ゲームブック型チュートリアルが機能するのは、問題に対する正解が明確である場合に限られるということです。
これが社会問題など未解決の課題をテーマにしていて、選択肢の結果がはっきり正解と不正解に分かれていたら……読者がそこに見るのは開かれた未来ではなく、著者の思想です。単に自分の考えが著者のそれと合っているか違っているかがわかるだけ。著者の思想に共感できれば面白いでしょうし、できなければただただ不快になるだけです。
私は未クリアなので論評できませんが、未解決の課題をテーマに挑戦した意欲作もあります。
代々木丈太郎さんの「口裂け女のゲームブック」もこれに近いものを含んでいます。同作には氏の思想が色濃く出ていますが、物語構成がかっちり仕上がっていて登場人物の言動にリアリティがあるので押しつけがましさを感じさせないところが見事です。
いずれにせよ、生半可な覚悟で挑めるものではありません。
わきまえずに執筆してしまうと、単なる著者の思想の押しつけになってしまうわけですね。
極限してしまえば、ゲームブックとは「著者の脳内当てクイズ」にすぎないわけで、そこにどうやって膨らみを持たせるかが作家としての力量になるわけです。
ゲームブック作家として、自作品は読者に自分の考える正解を提示しているのだという意識は、常に持っておきたいなと思います。