ちゃなのゲームブック

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ゲームブックと叙述トリック

こんにちわ、ちゃなです。

叙述トリックってわかりますか?

(※本稿では、いくつかの有名作品と自作品の若干のネタバレを含みます。)

 

端的に言えば、小説などのメディアで、語り手が読者にウソや隠し事をすることです。

例えば、「俺はXXした。」と一人称で書かれているけど、実はその主人公が女性だった、とかですね。

ミステリ小説では、かの有名な「アクロイド殺し」を皮切りに、様々な叙述トリックが開発され、そのたびに絶賛されたり物議を醸したりしました。

 

では、ゲームブックでは叙述トリックは成立するのでしょうか?

ゲームブックでは、殆どの場合、読者が主人公です。

なので、語り手である主人公が読者にウソをついてしまうと、「自分で自分にウソをついている」ないし「自分で自分のことがわかっていない」状態になります。

なので、ゲームブック叙述トリックは基本的に相性が悪いといえます。

 

マーダーミステリーではどうでしょうか?

マーダーミステリーはもともとミステリ小説から派生したエンタメと見ることもできるので、叙述トリックを使ってみたいと考えるのも自然な流れです。

しかし、各プレイヤーが担当するキャラクターの背景などが記載されたハンドアウトは、各キャラの「記憶」ですので、そこにウソが交じるとやはり「自分で自分を騙している」ことになります。

やはり叙述トリックを使うには注意が必要です。

 

ゲームブックもマーダーミステリーのハンドアウトも、読み手が語り手が同化する、いわば二人称メディアです。

では二人称メディアで叙述トリックを使うことはできないのでしょうか?

 

ここで叙述トリックを二つに分類してみましょう。

それは、語り手が偽る内容が、自分自身か、それともそれ以外かです。

 

後者の場合は話が簡単で、二人称メディアでも容易に成立します。

というか、マーダーミステリー作品の多くが実際に叙述トリックを導入しています。

例えば、「この時間帯、怪しい訪問客は一人も来なかった。」と記載されていて、実は郵便配達員が来ていた場合。配達員は語り手にとって怪しい人物と認識されなかったのですから、そのように記憶しているわけです。この点、読者も主人公の気持ちになってみればいちいち郵便配達員のことを憶えていないというのはありうる話です。

つまり、この例では、作者はプレイヤーを騙そうとしてこうした記載をしていますが、語り手が読者を騙してはいないわけで、「自分に騙された!」という違和感は生じません。

 

その一方、語り手が自分自身についてウソや隠し事をしている場合は厄介です。

本当は語り手が殺人を犯しているのに、そのことが「ちょっと用事を済ませてきた」と書いてあった場合。種明かしされたら、主人公と一体化していた読者としては「おい、ちょっと用事じゃないだろ!」と突っ込みたくなりますよね。その後でみんなで殺人事件の捜査をしていたらなおさらです。

こういう叙述トリックは、語り手と読者が明らかに別人である通常のミステリ小説では成立しても、ゲームブックやマーダーミステリーのような二人称メディアでは、納得度が低くなりがちです。

 

さらに、叙述トリックが使われる理由や合理性が作中に存在するか否かも論点になります。

最初の例では、語り手が重視していなかった事柄が結果的に叙述トリックを形成したもので、叙述トリックの発生に合理的な説明が可能です。

他方、二番目の例で、語り手が読者に正確な情報を与えなかった理由はなんでしょうか?例えば語り手が職業殺人者で、殺人というものがちょっとした用事に過ぎないような心の持ち主だという説明が事前にあれば、少しは納得度が上がるでしょう。それがなければ、まさに作者の都合で読者を騙しにいったとしかいいようがないわけです。ちょっと不誠実ですよね。

 

私は、ゲームブック叙述トリックの相性についてのいくつかの論考を読んでから、色々自分で考えて、いくつか自作品で叙述トリックを扱うようになりました。

やはり、相性が悪いと言われると挑戦欲を掻き立てられるものです。

その結果、拙著「魔皇を継ぐ者」「ファントムドミネーション」「豊穣の迷宮」では、いずれも叙述トリックを導入しました。

ネタバレを避けるため詳細は伏せますが、このうち「魔皇を継ぐ者」の叙述トリックは、語り手が自分自身を偽るもので、かつその動機が作中にはありません(つまり作者の都合です)。書いてみて、これは読者の納得度が低いものだったなあ、とちょっと反省しています。まあ、この叙述トリックはおまけのようなものですので、ご容赦いただけると幸いです。

「ファントムドミネーション」に出てくる叙述トリックは、語り手が意図的に自分自身を偽って読者を騙すものではありません。限界ギリギリを攻めていますが、読者に不誠実なことをしているつもりはありませんので、驚いていただければ幸いです。

「豊穣の迷宮」では、叙述トリックに気づいてからが本番です。本作は厳密には二人称メディアとはいいかねる構成ですので、ここでいう叙述トリックの良し悪しの議論にはなじまないかもしれません。

 

まとめると、

叙述トリックとは作者が読者を騙す構造である

・二人称メディアでは、本来一体化しているはずの語り手と読者の一体感を損なうので、叙述トリックとは相性が良くない

・特に、語り手自身の情報を偽る叙述トリックを用い、かつその動機が作中で説明されない場合、読者の納得が得づらい

ということになるでしょうか。

 

今回はこの辺で。