ちゃなのゲームブック

ゲームブック作家「ちゃな」のブログです。Amazonキンドルで「デレクの選んだ魔法」等販売中!

ゲームブックにおける主人公の設定

ゲームブックは、基本的に「二人称小説」です。

読者が主人公なので、地の文では、「君は……」という表現が始終出てきます。

作風によっては「君」ではなく「あなた」だったりします。英語ではほぼ100%、"you"ですね。

 

さて、この主人公にどんな人格を与えるか、それとも与えないかに、作品の特徴が大きく現れてきます。

主人公の扱いは、大きく3パターンに分けられます。

 

(1)無色透明の「君」

ファイティングファンタジーシリーズのほとんどは、主人公には何の人格も与えられていません。ストーリーの都合上、冒険者だったり盗賊だったり魔法使いの弟子だったりと、大まかな身分や能力は決まっているものの、容姿や性格、果ては年齢も性別も不明だったりします。

不明ということは、読者が自由に設定できることを意味します。あなたのお気に入りのキャラクターをゲームブックの世界で冒険させることができるのです。

近年復刊されたファイティングファンタジーシリーズでは、巻末に何人かのプレロールドキャラクター(能力値や出自の設定済みのキャラクター)が例示されています。

無色透明の「君」を用いるメリットは、読者の想像を損ねないことと、キャラ人気に左右されず幅広い読者を許容できることです。作者目線では、主人公の設定にはかなり気を遣うので、そこを読者に丸投げできるというのも実はお気楽だったりします。

 

しかし、気をつけなければならないのは、ゲームブックが有限の選択肢を提示している以上、完全に無色透明の「君」などいないということです。

例えば、敵に出会ったときの選択肢が「戦う」「逃げる」「呪文を唱える」「道具を使う」の4種類だったとします。この時点で、この主人公は敵を口車で懐柔したり、降参したふりをしたり、本当に降参して任務を放棄したりするような性格ではないということが規定されているのです。

「ソーサリー!」シリーズの主人公も無色透明な「君」で、実際iPadアプリ版では男女が選べます。しかし本編ではゴブリンをダシにした冗談をいうシーンや、魔法談義に花を咲かせるシーンがあり、コミュ能力に長けた人物像が浮かび上がってきます。

 

(2)想定される人格を有する「君」

主人公に名前こそ与えられていないものの、性別や容姿、性格がある程度決まっている作品もあります。

「悪夢のマンダラ郷」では、失恋したばかりの青年が主人公として想定されています。腰巻き一つの魔女ランダに誘惑されるシーンから察するに、そこそこイケメンなのではないでしょうか。

悪夢のマンダラ郷 悪夢シリーズ (幻想迷宮ゲームブック)

悪夢のマンダラ郷 悪夢シリーズ (幻想迷宮ゲームブック)

 

 

拙作「ネイキッドウォリアー」では、主人公は「名もなき女戦士」とされています。私自身、主人公の裏設定などは一切作っていません。しかし、全財産を投げ打って裸レースに出るわけですから、ギャンブル精神とさばけた性格の持ち主であることは確かでしょう。

ネイキッドウォリアー (ちゃなのゲームブック)

ネイキッドウォリアー (ちゃなのゲームブック)

 

 

こういった主人公の設定は、序盤で読者に明示される必要があります。さもないと読者は混乱し、「こんなの俺のXXじゃないー!」となります。自分が感情移入している主人公が行いそうな行動が選択肢に出てこないというのは、ゲームブックをプレイするうえで最もストレスフルな瞬間です。

 

(3)主人公が設定済み

はじめから主人公に名前と設定が与えられているゲームブックもあります。日本の作家の作品はこのパターンの方が多いかも知れません。

ドルアーガの塔」三部作の主人公は言うまでもなく王国の騎士ギルガメスです。「サイキックJK麻美 -灯油通り魔事件!」なんかは、帯に「主人公が「あなた」じゃない!」とまで書かれていて、主人公を二人から選ぶことができます。

 

この手の作品の場合、主人公のキャラがいかに魅力的かがとても重要です。同時に、主人公を定めた時点である程度想定読者を絞り込むことになります。

メリットとしては、作中に主人公の台詞を入れやすいことが挙げられます。作中人物同士の友情や論争を描くにのに、主人公が何も喋らないというのはやはり不自然です。しかし無色透明の「君」の場合、主人公に安易に喋らせると、読者の脳内世界が崩壊しかねません。特に日本語では、敬語や女性口調などで語尾変化が多様なので、”Yes"ひとつを喋らせるのも一苦労なのです。

 

ファイティングファンタジーの影響も大きいと思いますが、海外作品では無色透明の「君」が一般的です。対して、和製作品では主人公のキャラ設定にこだわった作品が人気を博する傾向があるように思います。日本ではドルアーガも含めてファミコン作品のゲームブック化が隆盛したという事情もあるでしょう。

 

ただ、この傾向はコンピュータRPGでも同じで、海外で人気の「The Elder Scroll」シリーズや「Bulder's Gate」シリーズでは主人公の種族も性別も自由に設定することできます。こうした作風のゲームは和製コンピュータRPGではあまり見当たりません。主人公を遊び手が自律的にキャラ付けするのを好む英米と、癖のある主人公になりきって遊ぶのが好きな日本、という傾向がおぼろげながら見て取れます。

 

皆さんは、無色透明の「君」を自分好みに脳内変換するのと、作者が精魂込めて作ったキャラを味わうのと、どちらがお好みですか?